監督のジュリアン・デュヴィヴィエはドイツロマン主義のペーター・ド・メンデルスゾーン原作のこの作品をマリアンヌ役とリゼロッテ役のイザベル・ピアをそのまま、
後はキャストを全員入れ替えてドイツ語版とフランス語版を作った。
人によって評価は違うと思うが、2作品を見て、私はドイツ語版の方がキャスト、言葉の響きが醸し出す雰囲気において、はるかに勝っていると思う。
まるで別の作品のような印象を受ける。

○わが青春のマリアンヌ Marianne, meine Jugendliebe
                  (ドイツ語版)(1955)106分
監督・脚本 Julien Duvivier ジュリアン・デュヴィヴィエ
原作 Peter von Mendelssohn ペーター・ド・メンデルスゾーン
撮影 Leonce-Henri Burel  レオンーアンリ・ビュレル
音楽 Jacques Ibert ジャック・イベール


古城ハイリゲン・シュタットは親が離婚した子、片親の子、親にはじゃまな子どもたちのための寄宿学校だった。


授業は1日3時間しかなく、子どもたちは自由を楽しんだ。
特に「強盗団」は積極的に探検をする。


湖の対岸にある「幽霊屋敷」は絶好の探検場所だった。


ある日、アルゼンチンからヴィンセント(Horst Buchholz ホルスト・ブーフホルツ)がやってくる。
動物に愛される不思議な魅力を持っていた。


よき友人、よき理解者となるマンフレート(Udo Vioff ウド・ヴィオフ)、
兄のように慕うようになるフェリックス(Michael Ande ミハエル・アンテ)。



同じ頃校長の親戚リゼロッテ(Isabelle Pia イザベル・ピア)もやって来る。


夕食の後は転入生を祝って演奏会。
リゼロッテはピアノを弾く。
ヴィンセントはその後ギターで南米の物語を歌い、リゼロッテの心を捕らえる。
(この演奏会、さすがドイツ)


ある日、ヴィンセントを仲間に入れた「強盗団」は幽霊屋敷に探検に行くが、護衛に脅され、ヴィンセントを置き去りにして逃げる。
夜遅くから嵐になり、その中びしょ濡れのヴィンセントが興奮した顔つきで帰ってくる。


「強盗団」はヴィンセントが屋敷に告げ口をしたのだと思い喧嘩になるが、彼は強い。


ヴィンセントはマンフレートにあの日、置き去りにされた後の事を話すのだった。
美しい女性マリンヌ(Marianne Hold マリアンネ・ホルト)に会うが彼女は監視されていると言う。


嵐の中、彼女がボートで岸まで送ってくれたのだった。


その後ボートは使用禁止になり、マリアンヌに会いに行きたくても行けない状態だった。
が祭りの日、偶然彼女を目撃する。


アルゼンチンから母の使いの男が来て土地を売る話を聞いたり、
リゼロッテが愛を拒否された腹いせに可愛がっていた鹿を殺したり、
マリアンヌからの助けを求めてる手紙が「強盗団」に隠されていたり・・・
ヴィンセントは絶望する。
そして、泳いで屋敷へ行こうとして溺れてしまう。
が、マンフレートやみんなに助けられる。
(ここで「強盗団」も彼を許し、彼に許されるのだった)


翌日は再婚相手かも知れない使いの男にチューリッヒにいると知らされた母の元へ行く予定だったが、ヴィンセントは早朝抜けだしマリアンヌに会いに行こうとする。

そして湖岸で気を失っているのをマンフレートに発見される。


ヴィンセントはマリアンヌに会えたことをマンフレートに話す。
彼女は大佐との結婚式がすぐあるので助け出して欲しいと懇願する。


しかしそこへ大佐が来て言う。彼女は婚礼の日新郎が来なくてそれ以来おかしくなっているのだ。
結婚式の支度は過去を喚起することで彼女の心をとりもどせたらと考えるからだと。
彼女を引き取ると約束した私こそ幽閉の身だ。


大佐の言葉に納得して帰ろうとしたヴィンセントだったが、マリアンヌの「大佐こそ気が狂っている」
と言われ連れ出そうとするが護衛に失神させられる。


マンフレートと屋敷に行ってみるが、人の気配も結婚式の支度も消え失せていた。


そしてヴィンセントは学校を去る。


別れを惜しむかのように集まる鹿の群れ。

何回見ても、甘いなぁと思いつつ引き込まれてしまう。
耽美的で幻想的で、もう今後作られることのない扉の向こうの世界だ。
ふと忘れていた感性豊かな頃の昔の自分を思い出させる。

ドイツ語版はTVで放映されることもなく、DVD化されることもないだろう。
やがて一人二人と人の記憶から忘れられ、扉は完全に閉じてしまうのかも知れない。